教授コラム

2015年12月22日

【子宮内膜上皮内腫瘍 - Endometrial intraepithelial neoplasia(EIN)】

【子宮内膜上皮内腫瘍 - Endometrial intraepithelial neoplasia(EIN)】

EIN は2000年に米国ボストンの Brigham and Women's Hospital の病理医である George L Mutter が、形態学的および分子生物学的な解析の結果に基づいて子宮体部類内膜腺癌の前駆病変を認識するために提唱した概念です。従来は子宮内膜異型増殖症 atypical endometrial hypeplasia が類内膜腺癌の先駆病変であるとされてきましたが、異型の定義と診断の再現性が長年問題とされてきました。というのも、ここでいう異型とは細胞異型 cytologic atypia をさしていますが、異型の有無のみでは非浸潤性の腫瘍性腺増殖性病変をとらえることができないと考えられるようになったのです。

内膜腺がある範囲で、すなわち領域性をもって密集し、腺細胞の核の腫大と円形化、空胞化、核小体の明瞭化、核の重積が認められた場合に子宮内膜異型増殖症と診断しますが、内膜腺細胞の核はホルモン環境や化生、炎症などの影響を受けて大きく変化するため、絶対的な異型の程度というものは必ずしも頼りになりません。すなわち、類内膜腺癌であっても、異型増殖症であっても細胞異型が軽微であることが少なくありません。そのため、子宮内膜異型増殖症の診断者間再現性が高くないことが以前から指摘されてきました。これに対して、EIN の診断基準では、絶対的な細胞異型の有無、程度ではなく、背景にある非腫瘍性のものと判断される内膜腺細胞との形態的なコントラストを重視しています。それにより、細胞異型が軽度のクローナルな内膜腺の増殖性病変を高い再現性をもって正確に私たちは認識できるようになりました。そして、2014年に改訂・出版された世界保健機関(WHO)の婦人科腫瘍組織分類(第4版)では EIN の用語が正式に採用され、子宮内膜異型増殖症と併記されるに至りました。ただし、この新分類では EIN は『Endometrial intraepithelial neoplasia』ではなく、『Endometrioid intraepithelial neoplasia』、つまり『内膜』ではなく『類内膜』と標記されています。これにより、EIN の名称が EIC、すなわち漿液性腺癌の前駆病変である子宮内膜上皮内癌 Endometrioid intraepithelial carcinoma と混同されることがないようになりました。

さて、この EIN の概念は病理医や婦人科医の間で多少なりとも混乱を引き起こす結果となりました。その大きな理由は EIN と併記される子宮内膜異型増殖症が、従来定義されていた『異型』を示さない病変までを含むようになったからです。この続きはまた後ほど説明したいと思います。 

2015年12月21日

【人を育てる-“I am a teacher”という言葉に魅せられて】
真鍋俊明 滋賀県立成人病センター総長・京都大学名誉教授 

【人を育てる-“I am a teacher”という言葉に魅せられて】
真鍋俊明 滋賀県立成人病センター総長・京都大学名誉教授 

師匠より謹呈された講演録。その中には時代をこえて、病理医に限らず医師が共有すべき思想が書かれています。

 
病理診断学をこれから学ぶ、あるいは既に病理専門医となっている医師も知っておくべきこと。
 
1.定義、概念(definition)と同定法(identification):
診断に対する基準(criteria)を理解する
   共通因子(common denominator)
   特異性(specificity)
   感度(sensitivity)
2.病変に生涯と多彩性(chronology)と多彩性(variability)があることを理解する
3.常に鑑別診断を考える
4.診断への鍵(diagnostic clue)を知る
5.臨床・病理相関をつける習慣と知識を知る
6.技術、能力の限界を知る
7.診断に際して『疑わしきは罰せず』の消極的姿勢とあわせて『疑わしきは明らかになるまで検索する』の積極的姿勢をとる(100%の病理学)
8.組織診断と疾患の診断は違うことがある

2015年12月11日

【外科病理学の歴史シリーズ Vol 2.】

【外科病理学の歴史シリーズ Vol 2.】

アルドレッド・スコット・ワルチン Aldred Scott Warthin (1866 − 1931)


その名の通り、ワルチン腫瘍に関する臨床病理学的研究によりその業績が伝えられていますが、実はリンチ症候群に関する最初の記載は彼によるものです。肖像写真からは服装へのこだわりが感じられますが、いつも出入りしていた仕立屋の針子さんと雑談をしていて、『私の親戚は多くが子宮がん*で亡くなっているんです』という話から閃き、地元の病院に残されている彼女の親類全ての診療記録を調べ始めて癌家系の存在を明らかにしました。『癌遺伝学の父(The father of cancer genetics)』といわれている所以です。後に米国ミシガン大学病理学教授に就任。同じく米国クレイトン大学教授であるヘンリー・リンチが、ワルチンによって最初に記載された家系(Family G)の追跡調査を行った結果を1971年に発表したことを契機にこの疾患が広く知られるようになったため、リンチ症候群の名称が定着しました。現在はその原因が MLH1、MSH2、MSH6、PMS などのミスマッチ修復遺伝子の胚細胞系列変異(germline mutation)によって生じることがわかっており、右半結腸において好発する広基性(無茎性)鋸歯状腺腫 Sessile Serrated Adenoma(SSA)を母地として特徴的な形態を示す大腸癌が発生することが知られています。遺伝性非ポリポーシス大腸癌 Hereditary Nonpolyposis Colorectal Cancer(HNPCC)はリンチ症候群の同義語としてしばしば用いられますが、最初に発生する癌(sentinel cancer)が必ずしも大腸癌ではなく、内膜癌であることが少なくないため、最近はリンチ症候群の名称が好んで用いられる傾向があります。

リンチの名前が歴史に残ったかたちですが、私と同じ病理医として、些細な契機から地道な調査活動を開始し、本疾患の存在を初めて明らかにしたワルチンの業績を讃えたいと思います。

* 子宮体癌(内膜癌)であると考えられます。

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